ケータイがメールを知らせる。
表示されるべき名前は無い。だが、毎日のようにルカの仕事ぶりを見てくれている人だ。
今日のメールの内容は音楽以外の初めてでたCMの感想だ。好評のようで安心した。恋人やマネージャー以外の初めての褒め言葉に嬉しくなる。名前も知らないファンからのメールなんて普通はマネージャーに話すべきなのだろうが、実害がない為に恋人にも話していない。
それにしても、名前が無いのは不便だとルカは考えていた。その時、テレビが時代劇を流し始めた。
——それは恋人が出ているドラマで、将軍様のお世継ぎの若様が身分を隠して、双子のお庭番と共に江戸市中で起こる騒ぎを解決したり、縁結びをしたり、女性に振られたりするモノである。
『なんだ? 騒々しいな』
『はい、どうやら土左衛門が現れたようですね』
画面上で彼が着流し姿で双子とやりとりをしている。相変わらずに着物姿が似合うし、格好良い。
思わず目を奪われる私をよそに件の『土左衛門』さんが現れた。その人は水死体だった。多分、驚いているのはアメリカ帰りの私だけだろう。時代劇なんて彼が出ていなければ見る機会無かっただろうし……。
そこまで考えて一つ疑問が浮かんだので部屋の隅のパソコンに向かって仕事中の彼の髪を引っ張る。
作業を中断して振り向く彼の目がテレビに向かう。何か言いたそうな彼を無視し疑問をぶつける。
「水死体のことを土左衛門さんって言うのよね? じゃあ、名前の分からない人は何て言うの?」
「……名無しの権兵衛かな」
不思議そうな彼の頬に軽くキスして、お礼を言い、ソファーに戻り、テレビを見る。
僅かに朱の差す顔で頬を押さえる彼と同じくらいに、下手するとそれ以上に、赤くなっている顔を見られる前に……。
微かに笑う彼の声が聞こえる。そして、彼もまたパソコンに向き直る。
それを確認してからケータイを取り出す。名前を知らない差出人をこれからは『権兵衛』さんと呼ぼう。
その考えに満足して設定をする。
時代劇が終りを告げても彼の仕事は終わらない。ケータイがミクちゃんの声でメールを告げる。ミクちゃんからである。今度の食事会のお知らせだ。直ぐに返事を出し、手帳に記入する。
そこまでやって暇になってしまった私は、キッチンに向かう。水を飲んで喉を潤した私は目に止まった冷蔵庫を開けた。別にお腹が空いた訳ではないのだが、何か食べたいと思ったのだ。
普段、自炊もする彼の冷蔵庫の中は最近の忙しさを裏付けるように何も入っていなかった。
ただ一つ、コンビニで売っている生クリームの乗ったプリンの他は……。
迷わずその一つしか無いプリンを手に取ると私は彼の元へ向かう。
彼にプレゼントをした、たこモチーフのピンクのクッションをそばに置き彼に持たれるように座り込む。
そして、プリンを口に運ぶ。一口、至福の顔でプリンを食べていると彼が呼ぶ。
「あと、もう少しだから——待ってて」
私に囁き、髪を撫でてくる。
「そんな事言われなくても半月ぶりなのだから、幾らでも待ってあげる」
彼の膝に頭を預けて、囁けば、嬉しそうに彼が笑っていた。
恥ずかしくて顔を背け、プリンを食べだす私の髪を彼は仕事が終わるまで弄っていた。
By 瀬川 唯
後書き
いろいろ突っ込みたいところがありますね。何、『権兵衛』と仲良くやってんだとか。
でも、こんなルカもいいと思います。