タラップを渡りバチカル港へと足を踏み入れる。
再びここに来る事になるとは正直なところ、思っていなかった。ルークとの生活は満ち足りていて、暖かかった。だからこそ、危険な場所は回避したいと思っていたし、ルークを一人自宅に残してまで来訪する理由がなかった。
今日、来たのは最愛の片翼の為だった。
ずっと願っていた。ルークとふたりであの家で共に朽ちる。ルークは知らないようだが、ローレライがあれこれ手を出していた様で、雨漏りも軋み上げる事もない加護を受けた歪んだ家。アッシュの宝物の1つだった。
ゆっくりとなるべく気取られないように歩きながら、アッシュは顔を顰める。こんな人の多いところにあれを連れて来るなんてと、彼らはルークの状態を知らないというのに。
別に、ルークしかいらないとは言わない。
世界を敵に回してさえ、構わないが。ルークと暮らすには食料だったり燃料だったり衣類だったり……必ず必要になる。だから、ルークを健やかにその無垢な美しさを損ねない程には、物が欲しい。物がいる。
欲深くなったものだと思う。
天空滑車に乗り込んだ時、近くに一人、近寄ってきた。
「お久しぶりです、師団長」
生きてたんですね、連絡がいきなりで驚きました。
そんな言葉と共に頼んでいたものを渡してきたかつての副官を横目で見る。副官を務めていたこの男は任務中に拾った。怪我を負い動けない為、被害者かと思えば違ったという経歴の持ち主で。その後も意味不明ながら懐かれ(言っておくが一回り上だ)腕も立ち、ヴァンも使えると思ってか入団させた。その時に常々宣言していたのは、師団長を裏切りません、命の恩人ですし……だった。
「無駄口はいい。てめぇ、本気で手助けする気なんだな?」
「え、うそだと思ってたんですか!師団長、信用できない男には着いて行ったら駄目ですよ?美人なのに……」
無言でナイフを首に当てるとやっと静かになった。
滑車に自分達だけだった事に感謝する。
この男は普段無口だが、テンションが上がると失言癖を露わにする。その上、まくし立てるように話し出す。今も死んだと思っていたアッシュが現れ、頼られた事が嬉しくて仕方が無い様子だ。しかし、そんな男でも仕事にたいしてはかなり真面目だった事にも驚いた。
「お姫様迎えに行くんですね。ノアールさんに聞きました」
こっちです。と滑車を降りた後に先導するライアンの後をアッシュは追いかけた。
屋敷に潜入する際にもっとも昼日中に怪しまれずに……が、問題だった。いくら不法侵入されて妻を誘拐されたといえ、公爵家に乗り込むには分が悪いし、顔を見られたら騒動だ。
だからこそ、初めは出入りの者。ついでは騎士の一人に扮する必要があり、出入りの者を狙うにはそれなりの調べがいる。しかし、ルークのためには早く行動しなくてはいけない。ライアンは今、ノアールの元で働いている。
もともとが、アッシュに対する恩義でいた神託の盾だ。アッシュが居なくなって早々に、辞職していた。
「すまん、しかし……お前がノアールの所にいたことに驚いたぞ」
「ああ、師団長が生きてたら絶対に連絡するところを選んだんです。奥さん見つけたら、今来た人気のない通路使って、廃工場抜けてってくださいね。そうしたら、ケセドニアの近くですし。タタル渓谷に小屋ある見たいなんで、捜索隊が諦めるまではそこで住んでください。それと……赤ちゃん出来たら一回抱っこさせてください」
そこまで早口で言い切ると、ライアンは暗がりから消えた。
「赤ん坊なんて……無理だ」
アッシュの呟きは、彼には届かなかった。
騎士の鎧を身に纏い、廊下を他の騎士達と同じ歩調で歩く。歩きながら、ルークの部屋へと向っていった。
赤ん坊の話をされて、アッシュは微かに嘆息する。
ルークは人を恐れる。もし、生まれた子供まで恐怖の対象になってしまったら……ルークはまた傷つくのだろう。そして、生まれる子供も不幸になり、父親であるアッシュも。
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