帰ってきた時から、自分の身体はもう無理のきかないモノになっていた。乖離から解放され死の恐怖に晒されることの無い事に喜ぶべきだと気持ちを切り替えていた筈なのに……。
「はぁ……」
昨日の夜、熱が出た。
最近では日常の事になった事でも、出したきっかけとなった人物にとっては大事で、しかもその日はその人の休暇の日で……。
まあ、今日が休暇という事で彼もあんな事をしてきたのであろう。
そこまで思考が辿りついた瞬間、ルークの顔は音でも出してるのかと思いたいくらい真っ赤になった。
思い出すだけでも恥ずかしい。生まれて初めての経験だった。
(気持ち良かったけど!!)
今でもはっきりと思い出せる。
こんな気持ちも、こんな経験も。
あの時に死んでいたら味わえなかった……。
今はいない半身が帰ってきたらどんな顔で出迎えればいいのか解らず、ルークは布団の中に潜りこんだのだった。
作:秋音
アッシュ視点
刻んだネギを粥の中に入れ、煮立たせる。
こんな作り方でない方法もあるらしいが、アッシュに料理を教えた師はこんな作り方だった。さらに中に溶き卵を手早く注ぐ。
焦げ付かないように掻き混ぜながら、今はベットの住人となっている半身について考える。
調子のいい時は起き出して本を読んだり、母とお茶をしているそうで……。
そうでと言う伝聞系なのは、本当に伝え聞いただけで見たことがほとんど無いからだ。
儚さが前よりも強くなった気がする。
火を止め土鍋を盆に載せ料理長に声を掛ける事を忘れずに出て行く。
そんな相手に自分は……。
今日は休日だった。
公務をこなすようになって初めての。
父に進められたワインを少し口にして、まさかあの量で酔うとは……。
二人の部屋に帰って、話をして、気付けば腕の中に閉じ込めていた。
夢中……だったのだろう。
それで熱を出させてしまうなんて、最低だ。
部屋の前についても、暫らく中に入れなかった。
作:秋音
執務を終え帰宅したが、日付が変わる直前ともあり出迎えたのは執事長のラムダスだけだった。
「おかえりさないませ、アッシュお坊ちゃま」
完璧な角度で頭を下げるラムダスに視線だけで合図を寄越す。そのまま自室に向おうと歩き出したアッシュにラムダスは静かに告げた。
「ルーク坊ちゃまが、厨房でアッシュお坊ちゃまのお夜食のご用意をされております」
「何だと?」
思わず、言い方がきついものになる。
アッシュの完全同位体のルークは共に帰還したものの、酷く健康を損ねてしまっていた。以来、この屋敷から出る事は少なく自室と食堂を行き来する生活を送っている。体調がいい日はアッシュと書庫や中庭を散歩したりするが、体調がいい日の話しになる。
そんな彼が、こんな夜中に厨房に立っているのだ。
「お止めいたしましたが、どうしてもと……どうか、お坊ちゃまの方から」
「止めろと言う事か……わかった。面倒をかけたな、すまない」
そこまで言った後、アッシュは厨房まで足を運んだ……。
厨房では、ルークが一人で黙々と作業をしているところだった。せめてもと母が着せたのだろう厚手のセーターを捲り上げ、手を動かしている。
「おい、レプリカ」
声を掛けると大仰に驚き、手に持っていた木べラを床におとしてしまう。
「うわっ!! アッシュ!?」
慌てて持っていたボールを後ろに隠し、わたわたと左右を見回している。何だか小動物みたいだ。
「何してるんだ。お前は」
木べラを拾い上げ、カウンターに置いてあるサンドウィッチに目を向ける。中に挟んであるのはアッシュの好物のチキンを照り焼きにした物だ(夜食にしては重すぎる)
「もう、出来てんじゃねぇか。何してる?」
「え? なんで知って……」
「ラムダスから聞いた、ついでにお前も止めろとな。また熱を出すだろう」
「大丈夫だよ、ここ最近調子良いし」
「大丈夫じゃねぇかもしれねぇだろう。大体、何時までかかってるんだ」
そこまで、言い切るとアッシュはルークの額に手を当ててみる。
「熱い……熱があるな」
「え?」
熱に気づいていなかったのだろう、ルークは目線を伏せてしまう。
「まだ、寝れない」
「どうして?」
おずおずと持っていたものを前に出してきた、中にはケーキの種と思われる代物が入っていた。
「夜食のサンドウィッチが思ったよりいい出来で……なんか、他にもって思って……作ってた」
「あのな、サンドウィッチだけでも十分だろう! 第一、夜中にそんなに食ったら胃がもたれるだろうが!」
「あ……」
あんぐりと口を開けて、ルークが固まってしまう。そこまで考えていなかったのだろう。見る見るうちに自分よりも大きな瞳に涙が溢れてくる。
「俺、こんなんだし。せめて夜食くらいと思ったのに……」
「……っ!! 」
最近のルークは身体の事を酷く気にしているのは、知っていたがまさかここまで思いつめているとは思っていなかった。
アッシュは思わず頭を掻き乱すと、そのまま手を洗いだした。
「アッシュ?」
ルークが瞬きをすると、涙が頬をつたって落ちていく。
「手伝う。出来たら夜食食って寝るぞ。明日は休みなんだ、ケーキは冷まして食ったほうが美味いのもある。お前も食うとき手伝え、いいな」
目線を合わせ、ニヤリと笑って見せると嬉しそうな様子で頷いたルークを椅子に座らせ、深夜のケーキ作りを開始した。
目下の目標は熱が上がる前に作業を終わらせて、夜食を食べてしまう事だった。
ルーク視点
ボールの中の生地を木べラで切る様に混ぜ合わせて、片手でラム酒の入った小瓶を取り上げる。香り付けに使うものだ。
以前、試しにコップに注いで飲んで見たら、菓子に使う酒と甘く見ていたこともあり足元が覚束無い状態になってしまいアッシュに叱られたものだ。
(ラム酒って結構きついんだな~)
あの時はアッシュが酷く慌てていた事が面白いと思ってしまったものだ。(回復した後それを言ってアッシュに倍怒鳴られたのだが……)
木べラを動かす手を止めて、ラム酒を大匙に掬い中に入れる。ケーキの生地作りはスピード勝負だ。大急ぎで、それでも出来るだけ丁寧に混ぜたゆく。
ローストしておいたナッツは砕いてあるし、もう少ししたらチョコを溶かしてしまわないと……。
「おい、レプリカ」
「うわっ!! アッシュ!?」
慌てて声のした方に身体ごと振り返ると、こんな深夜に起きて料理に勤しむ理由となる青年が立っていた。
(何でここに! )
持っていた木べラを落としてしまい拾おうとした時、手に持ったままの生地に気づいた。アッシュにはまだばれたくない。そんな気持ちから、思わず背中に隠してしまう。
誰かいないか、誰か助けてくれないか、どこかに隠れられないか。そんな気持ちで左右を見回すが料理長すら帰った時間に誰かいるはずが無かった。
「何してるんだ、お前」
さっさとルークの落とした木べラを拾い上げたアッシュは半眼になってこちらを見てくる。しかし、直ぐにその眼差しはルークの横のカウンターの上、チキンサンドへと向けられる。
「もう、出来てんじゃねぇか。何してる?」
「え? なんで知って……」
彼には気づかれないようにこっそりとしていたのに……。
「ラムダスから聞いた、ついでにお前も止めろとな。また熱を出すだろう」
「大丈夫だよ、ここ最近調子良いし」
「大丈夫じゃねぇかもしれねぇだろう。大体、何時までかかってるんだ」
呆れた様に言いながらすっと手が額に伸びてくる。触れられると思うと我知らず心音が跳ねる、アッシュに触れられるだけで意識してしまう。
「熱い……熱があるな」
「え?」
熱? 何時の間に……この位の調理だけで熱を出してしまうなんて……。遣り切れない気持ちになり、思わず視線を下に下げてしまう。
でも、このままでは寝るように促されるだろう……。
「まだ、寝れない」
そんな気持ちが、口についた。
「どうして?」
呆れるか怒るかと思った相手は、予想と違い優しい声で続きを促してきた。それを助けに、隠していたものを見せる事が出来た。
end
作:秋音