夜、バチカルには雨が降り始めた。雨の力によってか、訪れた静けさは身を隠すものには恵みだ。
雨に隠れ、霧の向こうに霞むバチカルの上層部に目線を向け、微動も動かない男にちらちらと視線を向ける人は居てもそれ以上かかわりを持たない。
傘も差さない男に不審な目を向けつつ、皆無関心でいる。
それがありがたかった。
「行かないのね」
一人の女が声をかける。傘を差し、傍らには男装の女性。
「ヴァンの妹か」
「行かないのね。オラクルを辞めたって、アニスから聞いたんだけど」
「そうか」
「行かないの? 」
「行って欲しいのか? 」
「欲しいわけ無いじゃない。でも、ルークが待ってるんだもの。あなたの事」
「覚えてないだろう? 」
アッシュの返答にティアは笑みを零す。
「覚えて無くても、ルークはあなたが好きよ? そんな相手と結婚しても惨めだわ」
やっと、アッシュがティアを見た。微笑みながら、目に涙を浮かべるティアに、息を飲む。
「最初はね? それでもいいって……思ったの。ルークが大好きだから。でも……ルークは思い出せないのにあなたを探すの。いっつもあなたの事を考えてる。それで、幸せになれるなんて思えるほど馬鹿じゃないわ。だから、ダアトからあなたがバチカルに来たら、知らせてもらえるようにしておいたのよ。ねぇ、アッシュ……ルークに会ってあげて」
お願い。
そこまで言うとティアは肩を震わせながら泣き出した。今まで、堪えていたのだろう。
「アッシュ様。ルーク様は最近、ダアトへ渡航したいと願い出ておられます。アッシュ様がいらしたらお伝えするようにと、だんな様から言付かりました」
ティアの支えながら、セシルが伝言を伝える。
その内容にも、ティアの言葉にも戸惑い。アッシュはもう一度だけ霧の上層部に目を向けた。
「るーく……」
アッシュがエレベーターに向けて歩き出したのを確認した後、セシルはティアを連れて宿へと向った。崩れた化粧と昂った感情を休める為に。